2016年10月27日木曜日

WEB版『森へおいでよ』第4回 「里山讃歌」

 里山讃歌 

〜森よ林よ我らが宿り〜



 我々,ちくぜんらくは,旧筑穂町では茜もりもり会,日吉ではみどりのくうかん,熊ヶ畑では里山の夢プロジェクトと協力して,里山の再生に携わっている。
「里山」を人里からの影響を受け続ける場を表す学術用語として最初に用い,里山の再評価を行ったのが,故四手井綱英氏である。すでに大学を退官されていた氏と山を歩くと,森や木について,自由な立場で話ができた。
 当時,薪炭→石炭→石油・天然ガスと変遷を経て,人々は里山を離れてすでに久しく,さらに,環境汚染や環境破壊への反省と反動から,「木を伐る」=「自然破壊」というステレオタイプが常識となり,人手の入らない自然林こそ「本物の森」とする風潮が幅を利かせていた。
 その中にあって里山の泰斗は「古うて大きい木ぃから伐ったらええんや」とやさしい京都弁でこともなげに言ってのけた。
 筑豊ではどうか?多くの里山で細い木が密集して暗く(1),
⑴細い照葉樹中心の森

1~2種類の照葉樹のみが優占する鬱蒼とした森と化している(2)。
(2)スダジイとアカガシのみの森

 モウソウチクの森への侵入と竹林の荒廃も見られる。筍が旨いため江戸期にはほぼ全国に広がったが,現在では放置が目立つ(3)。
(3)モウソウチクが侵入したスギ・ヒノキ林

 急傾斜地の棚田も放棄された。ススキが繁茂し(4),
(4)ススキが侵入した棚田

周囲からタケ・ササの侵入を許す(5)。
(5)ササ類が侵入した棚田

 これらはすべて里山で木を伐らなくなった結果である。
 では,木を伐るとどうなるのか?伐る前(6)と
(6)数本のスダジイを伐る前

伐った後(7),
(7)伐った後

一目瞭然である。

放置された里山の斜面を1年ほどかけて伐った(8)。
(8)広範囲に伐採した直後

自然破壊?いや,自然はそんなに柔ではない。
夏には草が繁茂し(9),
(9)1年半後

十数年後には元の姿に戻る。
 自然林では,老化や落雷・大風による倒木で明るい空間=ギャップができる。木を伐ることは人工的にギャップを作り出し,暗い林床に光を導くことなのである。
 手入れされた里山には心が洗われる(10)。
(10)比較的手入れされている里山

そんな里山が増えるよう,ちくぜんらくは,四手井氏にご教授いただいたことを,ここ筑豊で実践している。今後,その様子や仕組み,そして,里山のすばらしさを紹介する。きっと,里山を歩きたくなるはずである。

(筑豊の自然を楽しむ会・むしはかせ 岸本×太)

(1)(2)(6)(7)(8)(9)サンビレッジ茜(茜もりもり会),(3)飯塚市(茜もりもり会),(4)(5)宮若市日吉(日吉遊楽会)(10)嘉穂益富城自然公園

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今回は、里山についてまとめた記事となりました。
これらの活動は現在も地元の方々のご協力により、継続中です。
詳しくはお問い合わせください。chikuzenraku@gmail.com
地域の方々からいろんなことを教えてもらいながら、楽しく、頑張っています。
こどもたちにも自然散策したり、観察会をして、遊びに来てもらっています。

心が洗われるよな里山に。。私たちは見ることはできないかもしれませんが、
きっとこどもたちがそれをみてくれるといいなと。。。


そうそう、タイトルの「里山讃歌」・・・お気付きの方は 四手井先生とゆかりのある方かもしれませんが、先生は京大の山岳部のOB。その山岳部の歌、「雪山讃歌」をリスペクトしてバッタさんがこだわってつけました。サブタイトルも、、、実は歌詞をもじっています。
山を愛した方々の想いのつまった歌。よかったら、きいてみてください。

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